第8回:社会保険労務士 長瀬恵子氏/長瀬社労士事務所

2008年4月19日

長瀬恵子さん第8回「カラフル・キャリア対談」は、社会保険労務士としてご活躍している長瀬恵子さんをご紹介します。

大学卒業後、外資系コンピューターのパッケージ会社へ入社。人事と専務秘書を兼任し、当時会社に出入りしていた社労士の先生を傍らで見て、社労士の仕事に興味を持ち、働きながら社労士の勉強を始めます。一度転職し、資格取得後はその社労士先生の事務所(労働保険事務組合)へ入り、5年前、組合閉鎖とともに、組合を個人で引き継ぐこととなり、同時に長瀬社労士事務所として独立。現在は4歳のお子さんの子育てと両立しながら、事務所代表として、社会保険労務士としてご活躍されています。

プロフィール

社会保険労務士 長瀬恵子氏/長瀬社労士事務所
大学卒業後、外資系コンピューターのパッケージ会社へ入社。人事と専務秘書を兼任し、5年勤務。入社4年目より社労士の勉強をはじめる。退職後、大手自動車会社の人事部で派遣社員として働きながら勉強を続け、合格後、労働保険事務組合で6年間社労士として勤務。平成15年、労働保険事務組合の閉鎖とともに、組合を個人で引き継ぎ、同時に長瀬社労士事務所として独立。現在は50以上のクライアントと顧問契約を結び、各企業の労務人事に従事している。

社会保険労務士としての独立
突然「労働保険事務組合」を引き継ぐことになった!

高田:社労士として独立されるまでのお話を教えていただけますか。

長瀬:もともとここは労働保険事務組合といって、中小企業の労働保険事務組合として、いろいろな会社の社員の入社、退職の手続きなどをする団体だったんです。そこに入社したんですが、平成15年8月に解散することになり、解散する際に私が引き継ぐことになりました。「組合だった組織を個人で引き継いでくれ!」、ということになったんです。実質独立したのは、平成15年8月からですね。

高田:では、前から社労士のお仕事をしていらっしゃったんですね?

長瀬:試験に合格したのが平成9年で、翌年に組合に入りました。そこで実務的なことを教えてもらいました。それまでは会社の人事的、総務的な仕事だけでしたので、ぐっと幅が広がったと思います。今は10年目ですね。

高田:「組合をクローズするから、長瀬さん全部引き継いでやってくれよ!」と打診されたなんて、長瀬さんは組合のみなさんに信頼されていらしたんですね。

長瀬:恵まれていましたね。でも、労働保険事務組合というのは、中小企業さん各社の労働保険料を計算、徴収して、国に納付する代わりに、報奨金ということで、事務所によっても異なりますが、200~300万円入ってくるんです。個人事務所になったら、それがなくなったんですよ。

高田:200~300万円入らなくなるのは痛いですね。

長瀬:そうなんです。長年おつきあいしてきたクライアントですから急に個人事務所契約用の会費に切り替えるのは難しくて。ですから、「いいね、よかったね!」、とよく言われますが、意外に思ったより楽ではなかったんです。

高田:引き継がれた際はクライアントもすべて引き継がれたんですか?

長瀬:9割ほど引き継ぎました、やはり引き続きお願いしたい、と言うクライアント様が多かったので。

高田:それは素晴らしいですね。クライアントはほとんど引き継がれ、会費も全く同じ。組合ではなくなったからと言って、すぐには金額はアップできない、ということですね。

長瀬:そうなんです。個人でやっているので事情を説明して、社労士の個人事務所としての顧問料に徐々に上げている会社もありますし、新規顧客は新たな顧問料で契約しています。。

高田:クライアントの数は多かったのでは?

長瀬:はい。当初は多くて大変でしたが、引き継ぎしたあと、ちょうどその年に結婚したり、妊娠したりしたので、数か月ほど上司が残って一緒にお仕事していただきました。

高田:スタッフの方はいらっしゃらないんですか?

長瀬:上司が完全にいなくなってからは一人なので、忙しい時期は知人に週に1回のアルバイトをお願いしたりしていますが、基本的には一人で運営しています。

高田:すごいですね。キャビネットには50冊以上のファイルが並んでいますが、これはすべてクライアント・ファイルですよね? この数をお1人でこなしていらっしゃるなんて、すごいです。

長瀬:そうですね。結構大きな組合でした。

高田:多くのクライアントとはどのようにお付き合いされていらっしゃるんですか。

長瀬:例えば社員の方がケガをした場合とか、何か人事の方から相談がある際にお会いします。年に数回しか訪問しないクライアントもあれば、よく訪問してやりとりするクライアントもあります。クライアントさんの規模や状況によっても異なりますね。

高田:いろんなクライアントと契約されているんですね。こちらのオフィスは広いですし、居心地がいいです。集中して仕事がはかどりそうです。

長瀬:ビルは古いんですが、すぐ目の前が監督署で、後ろがハローワークなので、社労士の仕事としては、大変便利な場所です。

高田:それは最高ですね。

長瀬:あと、主要なクライアントも近くなので、すぐに行ったり来たりできるので、それはとても便利です。

これまでのキャリア
本当はインドネシアの会社に勤めたかった・・・

高田:社労士の試験をパスされたのが平成9年でしたね、これまでのキャリアを教えていただけますか?

長瀬:私は大学の第二外国語がインドネシア語でした。それで、インドネシアの会社に勤めたかったんですが、入社試験で落ちちゃったんです。それだったらもうどこでもいいや!と思って。

高田:確か学部は国際関係でしたよね。でも、第二外国語のインドネシア語で、インドネシアに目覚めちゃったんですか?

長瀬:そうなんです。もうインドネシアの魅力にはまってしまい、言葉はもちろんのこと、旅行も何度も行きました。今でも旅行での日常会話ぐらいは大丈夫です。

高田:今でも会話できるんですか、すごい!では、大学を卒業してからはどこへお勤めされたんですか?

長瀬:実家が横浜でしたので、横浜にあるドイツのコンピューターのパッケージを扱っている会社に勤めました。外資系でしたけど、コテコテの日本の会社でしたね。そこで、人事と専務秘書に配属されました。その時に人事に社労士の先生が出入りしていて、あー、こういう仕事があるんだなー、なんて思っていました。その先生というのが、実は後に組合で私の上司であり、私が仕事を引き継ぐことになった上司なんです。

高田:その当時からのお付き合いなんですね! 1社目での秘書と人事はどのくらいやられていたんですか?

長瀬:一番初めの会社は平成8年2月に辞めたので、5年間勤めました。専務秘書をしていましたが、専務は女性だったんです。現在は社長に就任されました。

高田:女性で、しかも現在は社長さん。では、当時の専務秘書時代は相当大変だったのでは?(笑) 外資系でも、当時女性で役員をやっていらっしゃる方は少なかったと思いますし、大変な時代ですね?

長瀬:そうですね。当時社長はドイツ人で、専務はドイツ語が堪能でした。女性同士で苦労した部分もありましたね(笑)。 秘書の仕事は次から次へ頼まれたりしましたが、それは苦ではなかったです。いろんな意味で大変な仕事でしたが、結構楽しみながら仕事していました。上司に鍛えられたと思います。社労士の勉強をしてみようかなと思い、働きながら勉強をはじめました。1社目は忙しかったですし、ストレスもあったので、ここで一度リセットして、社労士の勉強に専念することにしたんです。

高田:お辞めになられたんですね。

長瀬:そうです。すぐ派遣の登録をして、人事の仕事を探しました。たまたま大手自動車会社で人事を募集していました。 勉強がメインでしたので、週4回、10時~16時で、派遣スタッフとして働きました。

高田:これまでとは違い時間もとれるので、勉強に集中できますね。学校はどのくらい通われたんですか?

長瀬:2年通いました。平日週2回ぐらいですね。

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